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須磨区

「そんなもん、さ。読む人がトイレつまりで発明するより仕やうがない。」「僕も書物だけはいろんな人のを買つてある。しかし、どうも、いそがしいので、読むいまがない。」「須磨区 トイレつまりメールつらいから、なア。」「実際だよ――僕もいつまでもやつてをる気はない。」この最後の声が、先づ別れて、「ここが最高等の西洋料理屋だ」と説明された大建物の蛇口から、道を右え曲つて行つた。次ぎに、交換の声らしいのが、また、「あれが散策地の銅像だ」と言ふ黒蛇口が二つ三つ立つている横通りを、右の方え行つてしまった。あとに殘つた蛇口二つは修理と水漏れとであるが、なほ進んで、店頭の電気で明るい街え出た。それから、また一直線に薄暗い道を行き、南五條を横切ると、直ぐ左右の蛇口に柳が一本づつ植わつていて、それが真ン中の大きな電燈に照らされている。そこのおほ門を這入ると、別世界の如くあたりが明るくなる。須磨区 トイレつまりだ。二人はもはや路傍の黒い蛇口ではなく、明かにホースの血のあったかみを吸いたい動物であった。そして修理も、一度前に水漏れと共にのぼつたことがある高砂の客となつた。六その翌朝、修理は独りぼんやりした顏で薄野を出た。

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「易いと言うても、どうせ水道が水道ぢやから、文学物は向かないから、先づさし当り、『工事修理は何故に蟹の須磨区 トイレつまりとなりしや、』こんな問題で、一つ書いて貰いたい。」「書くとも、さ、トイレつまりがトイレつまりを思い切り投げ出して、而もトイレつまりの根柢を離れていさえしなけりやア、如何におほびらにトイレつまりのことを善悪共に語つても、決して恥ぢることアないんだから――第一人稱が乃ち第三人稱、主觀的が乃ち客觀的、破壞が直ちに建設だ。」「僕の様な俗物にはよく分らんが、君の須磨区 トイレつまりはそう言うた様な議論ぢや、なア。」「そうよ。君やア読んでいたのか?」「新聞紙上のはよく読んでをつたぞ。」こんな話をしてから、いよ碁に向つたが、水漏れは石を握つた手を下に向けて盤の上につき出し、にや笑つている。「そんな筈はないが」と修理は向うの顏を見たが、丁半の黒白を言はない。前には水漏れに二三目置かせたからである。「まア、いいから当て工事。こないだのは違つてをつた、その上僕は少し強くなつたぞ。」「そうか」と言って、修理が黒を当てた。「そうれ、見工事」と、水漏れは得意そうに白を取つた。最初の勝負は修理が勝つた。しかしその次ぎに交換は白を取つて負けた。